二三世 活山瑞林大和尚
 末寺である玄太寺一一世をつとめ、のち仁叟寺二三世として晋山。雙林寺文書「三法幢地入院披露年月留」には、文政八年(一八二五)一一月二八日に晋山の披露を雙林寺に行っている記録がある。先代二二世高天は、同年四月八日に遷化しており、その後住として晋山をしたのだろう。ただ、過去帳には、同四年より二三世瑞林の筆跡が残されているため、晋山以前から、当寺の寺務を統括していたものと思われる。

 末寺である信永院の後継者についての書状に、「文政九丙戊年(一八二六)二月 信州松代長国寺御役者中 上州仁叟寺瑞林」とある。

 雙林寺文書「三法幢地入院披露年月留」には、次代二四世黙笑が、天保四年(一八三三)九月一日に晋山の披露を雙林寺に行っている記録があるので、在山期間は八年ほどであった。

 天保九年(一八三八)五月二一日、遷化。