名称は天祐山公田院仁叟寺といい宗派は曹洞宗である。

 将軍足利義満の室町時代の応永元年(1394年)から正長元年(1428年)にかけて吉井町奥平公田に奥平城平貞訓公により創建された。

 その後子孫の貞能公が寺領を寄進した大永二年(1522年)に現在の吉井町神保に寺を移して本堂を再建し開基となり、北群馬郡子持村雙林寺四世の高僧、直翁裔正禅師を初代住職に請して開山されたのが現在の寺のはじめである。

 開山以来五百年間戦乱の世にも厳然として格式を保ち続け長根城主小幡公、宮崎城主奥平公、吉井城主菅沼公、地頭長谷川公同じく溝口公などの帰依と手厚い保護を受け、徳川三代将軍家光公の代には寺領及び御朱印二十五石を改めて賜った。

 下って明治三十二年には政府内務省より、県内全宗派寺院の中から世良田の長楽寺と仁叟寺の二ヶ寺が古社寺保存指定を受け保存御下賜金を受ける。

 大正九年に曹洞宗管長より宗門上位の別格地の認可をいただく。この間、当時の豪商秋山豊次郎翁に寺門興隆に尽力された功により中興開基が贈られた。

 終戦と共に六町歩以上あった寺の土地は境内地のみ残し、すべて全開放になり明治の廃仏毀釈と同様、苦難の時になるが壇信徒、力をあわせ運営維持がはかられた。

 昭和四十六年に仁叟寺全域と古文書が吉井町指定史跡となる。昭和六十三年より平成十二年に至るまで諸堂の改修と建設が進み、現在の伽藍整備された寺に面目を一新する。この間、特に多大な功績を尽くされた最高顧問 檀家・寺本欣正翁に再中興開基と曹洞宗管長表彰が贈られた。

 平成七年中国仏教第一の聖地五大山の顕通寺と友好寺院の締結調印をし文殊菩薩の御分身をお迎えし、以来相互交流を続けている。

 平成十二年日本一の大きさの十三重石宝塔が完成。

 末寺は八ヶ寺(現在四ヶ寺)あり名僧が輩出し禅風大いにふるい鎮護国家、万民共和、五穀豊穣を祈願する寺として多くの人々の尊崇をうけて今日に至っている。


歴代住職
世代 住職名 よみ 示寂年月日 備考
開山 直翁裔正 じきおうえいしょう 大永3年(1523)1月15日
【永正6年(1509)4月25日の説有】
雙林寺4世
2世 天如全相 てんにょぜんそう 天文23年(1554)3月15日
【永正13年(1516)4月28日の説有】
雙林寺5世・最乗寺輪住75世
3世 雍室正睦 ようしつしょうぼく 永禄5年(1562)7月24日
4世 莊山道巖 しょうざんどうごん 永禄10年(1567)1月16日
【向陽寺文書によると、天正10年(1582)5月11日】
向陽寺・信永院開山
5世 海雲存珠 かいうんそんしゅ 天正17年(1589)8月24日 正應院・寶福寺開山
6世 萼洲宗嫩 がくしゅうそうとん 慶長2年(1597)10月10日
7世 實山宗貞 じつざんしゅうてい 元和6年(1620)6月9日
8世 天威大祐 てんいだいゆう 寛永13年(1636)3月12日 八束山観音寺開山
9世 日洲壽朔 にっしゅうじゅさく 正保3年8月22日 龍源寺開山
10世 月峯牛雪 げっぽうぎゅうせつ 明暦3年(1657)2月10日
【同年の6月10日とする記録もある】
龍源寺2世、玄太寺・松林寺開山
11世 眼國相朔 げんこくそうさく 元禄5年(1692)5月11日
【同7年(1694)5月11日とする記録もある】
龍源寺3世・八束山観音寺2世・玄太寺2世・松林寺2世
12世 白岸賢虎 びゃくがんけんこ 享保5年(1720)4月4日 八束山観音寺3世・正應院中興開山
13世 知北嶺察 ちほくれいさつ 享保9年(1724)10月19日 玄太寺3世
14世 豐隆屋元 ほうりゅうおくげん 元文5年(1740)8月10日【宝永5年8月10日とする記録もある】
15世 棟屋賢梁 とうおくけんりょう 延享5年(1748)6月26日 龍源寺6世
16世 泰翁元張 たいおうげんちょう 延享5年(1748)6月26日 龍源寺7世
17世 明堂天察 みょうどうてんさつ 寛延4年(1751)8月20日
【寛延4年(1751)正月23日とする記録もある】
八束山観音寺7世
18世 祐峯智貫 ゆうほうちかん 前年4年(1754)12月23日
【宝暦13年(1763)12月23日とする記録もある】
龍源寺8世
19世 融山高祝 ゆうざんこうしゅく 天明6年(1786)9月18日 向陽寺13世・東福寺6世
20世 月鑑賢高 げっかんけんこう 天明8年(1788)4月13日 八束山観音寺10世
21世 東翁豐運 とうおうほううん 文政8年(1825)1月24日 八束山観音寺15世
22世 靈明高天 れいみょうこうてん 文政8年(1825)4月8日 八束山観音寺17世
23世 活山瑞林 かつさんずいりん 天保9年(1838)5月21日 玄太寺11世
24世 悦山黙笑 えつさんもくしょう 慶応元年(1865)5月29日 龍源寺18世・妙智寺23世
25世 鐡岩祖英 てつがんそえい 万延元年(1860)12月1日 慈恩寺16世・宗泉寺19世
26世 機參學禪 きさんがくぜん 明治6年(1873)9月19日 光照寺18世
27世 大應禪海 だいおうぜんかい 明治38(1905)年1月20日 牧洞院住職・戒禅寺16世
28世 卍成海雲 まんじょうかいうん 大正15年(1926)11月20日 光照寺住職・慈恩寺21世・龍源寺24世
29世 雲巖石橋 うんがんしゃっきょう 昭和41年(1966)2月3日 龍源寺25世
30世 大澄隆司 だいちょうりゅうじ 福寿無量 龍源寺28世・明和宗龍寺・板倉薬師寺・板倉長養寺
31世 大顯啓司 だいけんけいじ 福寿無量 龍源寺29世