三世 雍室正睦大和尚
 三世正睦代に、開山堂に安置してある日本曹洞宗開祖道元・当寺開山直翁裔正・二世中興天如全相の、木像が作製されたと思われる。平成一七年(二〇〇五)に行われた佛教造形研究所(本間紀男代表)による一連の調査で、その作製方法から中世の作品で相違ないことが証明された。とくに、近世以降に姿を消す「割わり首くび」などの作製方法は、中世の色彩を強く残す仏像製作法であるという。

 二世中興全相は、永正一三年(一五一六)四月二八日に遷化した。そのため、そのころに正睦が仁叟寺に晋山したと思われる。

 また、全相は雙林寺五世であり雙林寺にいたため、全相代の頃より仁叟寺については、正睦が指揮を執っていたとも思われる。

 仁叟寺の歴史上、重要と思われる年の大永二年(一五二二)は、三世正睦代であったと思われる。

 また、推察の域を出ないが、仁叟寺過去帳にある二世中興全相の遷化をした天文八年(一五三九)三月二八日は、三世正睦の退董、四世道巖の晋山の時期であると考えられる。

 永禄五年(一五六二)七月二四日、遷化。