一五世 棟屋賢梁大和尚
 末寺である龍源寺六世を経て、宝永五年(一七〇八)一〇月、仁叟寺一五世として晋山した。

 享保元年(正徳六・一七一六)七月に、惣門の修復工事を行う。惣門は、一一世相朔代の寛文三年(一六六三)三月に、建立されている。また正徳四年(一七一四)の段階で、吹替の費用としてシン金を五〇両ほど支出している。

 「天祐山月杯シン金牒」によると、「享保十六亥年臘月日(一七三一年一二月)」に退董。在山期間は、約二三年間。シン金は三三両三分二朱を数え、延宝三年(一六七五)から続く総計は、一二五両三分となった。しかし、正徳四年に「吹替之公命」により支出。その結果、総計は減少し、七四両一分二朱となった。

 延享五年(一七四八)六月二六日、遷化。

※シンの字は