九世 日洲壽朔大和尚
九世壽朔は、末寺である龍源寺(吉井町多胡)の開山である。しかし、開山とされる正保三年(一六四六)は、八月二二日をもって遷化をしているため、法嗣である仁叟寺一〇世、かつ龍源寺二世の牛雪による勧請開山である可能性が高い。龍源寺の開創は古く、壽朔以前に五代の住持が続いていたという。
しかしながら、土砂崩れにより堂宇は崩壊した。そこで、当地の旗本、門奈六左衛門を開基とし、洞門寺院かつ仁叟寺末寺として現在地に新たに建立された。現在にいたるまで修行寺としての側面が強く、仁叟寺住職となる前に龍源寺住職をつとめる僧侶が多い。
壽朔在山中の、寛永一六年(一六三九)三月九日、当地の旗本であり外護者の長谷川淡路守正信が逝去する。戒名、長松院殿惠林了智大居士。当寺墓地に、高さ三一〇cmほどの宝篋印塔墓碑を建立した。父である讃岐守の隣に葬られた。なお、淡路守以降の長谷川家は、東京駒込の吉祥寺へ葬られる。その一系が、鬼平で有名な長谷川平蔵である。
正保三年八月二二日、遷化。